東武東 上線 特徴 10

JAC starts its overseas discovery journey in Beijing Auto Show
April 27, 2018

東武東 上線 特徴 10

途中の和光市駅からは東京メトロ有楽町線・副都心線に直通し、副都心線を経由し東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線とも相互直通運転を行う運用がある。 今回はそんな新柏駅の構内の情報、乗り場情報、改札や出口情報などは勿論、新柏駅周辺のグルメや新柏駅が最寄りとなる観光地やスポットなどたくさんの情報をまとめました。改めて使い慣れた駅を知る機会となったり、引っ越し際の参考にしていただけたらうれしいです。, 千葉県柏市にある新柏駅は、東武鉄道野田線の駅です。2017年度の1日平均乗降客数は約20,300人で、1997年の約15,000人と比べると増加傾向にあります。丘の上に住宅街があります。基本的に住宅と自然とに囲まれたのどかな環境で、昔から住んでいる人も多く、駅周辺の治安もよいとされ、静かな環境で暮らすことができるエリアです。, 上りは春日部駅や大宮駅方面、下りは船橋駅方面です。上りは大宮直通のものもありますが、ほとんどが柏止まり。上下線とも、ほぼ10分おきに各駅停車が停まります(急行はそれぞれ10時台に1日1本来ます)。始発は5時台、終電は0時台となっています。南は船橋駅、北は柏駅・大宮駅などでJRへ、また、春日部駅で東武伊勢崎線へ乗り換えることもできます。, 上り方面、隣駅の柏駅までは4分。春日部駅までは柏駅での乗り換えが必要な場合51分、大宮駅までは同じく乗り換えが必要な場合1時間10分です。下り方面では、北総線・京成線など複数の路線が乗り入れる新鎌ヶ谷駅までは12分、JRへの乗り換えが可能な船橋駅までは25分です。東京駅までは、隣の柏駅で常磐線に乗り換え、特別快速に乗れれば約41分です。, ホームは高架駅の中にあり、上りは1番線で柏駅・春日部駅・大宮駅方面。下りは2番線で船橋方面です。柏駅までは4分、船橋駅までは25分。始発〜9:00までは柏寄りの1両が女性専用車両となります。ホームと駅舎を繋ぐ階段は1か所のみ。エスカレーターも2基と少ない上、時間帯によって上り専用/下り専用となるため、ラッシュ時には混雑します。, 駅の開業以来、当駅を起点とする路線バスはありませんでした。2014年に駅前広場の改良工事が完成したことにより、東武バスイースト株式会社の「柏駅東口~名戸ヶ谷~新柏駅」・「名戸ヶ谷~新柏駅」線の乗り入れが開始しています。1時間に1〜2本程度ですが、便利になりました。ほかにはイオンモール柏の無料シャトルバスが駅前の高架下付近で発着しています。, ホームが高架上なので、階段またはエスカレーター・エレベーターを使用して改札および出口に向かいます。前述の通り、ホームから駅舎へ繋がる階段は1か所、2基あるエスカレーターも時間によって上り専用/下り専用となるため、ラッシュ時など時間帯によっては混雑します。東口と西口とがあり、東口にはタクシーやバスの乗り場があります。, 最寄りの駐輪場は、駅から165mの「柏市 新柏駅東口第一駐輪場」です。利用時間は午前6時から午後6時、平日のみとなっています。定期利用が可能で、1か月あたりの料金は8,400円(市に申請が必要)です。最寄りの駐車場は、駅から47mのところにある「ザ・パーク新柏第一」。収容台数は6台、8:00~22:00は100円/20分です。, 新柏駅で忘れ物をしたかもしれない時、駅の係員に聞いてみるか、「東武鉄道お客様センター(03-5962-0102)」へ問い合わせることになります。電話での問い合わせの際は、内容の詳細を聞かれますので、日時・品名・乗車位置などの情報を用意しておくと良いでしょう。受け取りの際は、身分証明書を持参して物が保管されている駅の窓口へ出向きます。, 駅から徒歩約2分の閑静な住宅街の中にある「味遊(みゆう)」は、地元で人気抜群の魚介料理・海鮮料理のお店です。元魚屋のご主人が毎朝築地より仕入れる魚介類を使ったメニューはリーズナブルでコスパも良く、食べログやブログでも好評の口コミ多数。海鮮はもちろんのこと、「国産牛ビーフシチュー(850円)」などの肉料理も多く取り揃えています。, 駅から徒歩約20分ほどのところにある「法林寺」は、1650年創建の不動明王を本尊とする寺院です。境内には柏市内最大の樹木である「大銀杏(柏市指定文化財天然記念物)」があります。樹齢は400年にもなるそうです。高さ30m、根本の周囲14mの大木の銀杏が色づく様は圧巻。秋には黄色に色づき、そのみごとな様を見物する人が多く訪れます。, 駅から約2kmの場所に「グランパークホテル ザ・ルクソー南柏」があります。新柏駅周辺には宿泊施設が少ないため、このエリアで駅近のホテルを探す場合は、隣駅の柏駅周辺で調べることをおすすめします。「東横イン 柏駅西口」は。柏駅から徒歩約5分の場所にあります。駅前の繁華街にあるスタンダードなホテルで、ビジネス利用におすすめです。, 駅から約1.6kmの場所に「ニッポンレンタカー 南柏営業所」や、「オリックスレンタカー 南柏カウンター」がありますが、南柏駅付近になるため、新柏駅の近くではありません。より多くの選択肢の中から探すのであれば、隣駅の柏駅で調べることをおすすめします。駅からは少し離れますが、国道6号沿いに複数のレンタカー店があります。, 1Rの家賃相場は、2.98万円と東武鉄道野田線の中でも格安。2LDKの家賃相場は7.81万円です。東武鉄道だけの新柏駅に比べ、JRも乗り入れている隣の柏駅は平均相場が1〜2万も上がります。柏駅までは所要時間約4分ですが、かなりリーズナブルです。乗り換えの手間など少々面倒かもしれませんが、家賃を抑えたいと考えている人には好都合でしょう。, 最寄りの小学校は、駅から511mのところにある「柏市立中原小学校」。最寄りの中学校は、駅から398mのところにある「柏市立中原中学校」です。駅付近に「新柏駅前郵便局」があり、徒歩約10分の場所には、図書館などが入る「永楽台近隣センター」があります。医療機関については、駅の近くにクリニックと医院とがあります。, 最寄りのコンビニは、駅から39mの「デイリーヤマザキ 新柏駅前店」です。他(セブンイレブンなど)は、300m以上駅から離れます。スーパーについては、駅から80mのところに「東武ストア 新柏店」が、363mのところに「京北スーパー 新柏店」があります。1.3kmのところに「ヨークマート 新柏店」があり、車や自転車のある人にはおすすめです。, 野田・松戸・船橋 二重整形 和光市駅~池袋駅間が競合する関係で、Fライナーが新設される前までは地下鉄直通列車はすべて東上線内は各駅停車(普通)だった。Fライナー新設後は急行や快速急行の列車も直通するようになっている。もちろん有楽町線・副都心線経由だと地下鉄の初乗り運賃が追加されるが。, 東上線は、池袋~小川町間と小川町~寄居間に分けられており、このうち、前者を特に「東上本線」と呼び、多彩なダイヤを持つ。地下鉄直通の一部(8連)を除き全ての列車が10連で運転される。 交通 日本 野田・松戸・船橋 シンガポール ホテル 支線に越生線を擁する。 美容液 しかしながら、混雑率は和光市駅で地下鉄と分散するので150%以下と低め。 バイキング・食べ放題・ビュッフェ,中華・中華料理, 京都市 東武鉄道 鉄道情報サイトです。各路線・駅情報をはじめ、乗り換え・運賃検索、時刻表検索、特急券のご購入・予約などチケットレスサービスなどの各種サービスをご利用いただけます。 首都圏の利用者の多くは、中央線は東京駅から甲府あたりまでしか通っていないとイメージしているため、路線図をよくよく見て、名古屋まで通じていると知って驚くことでしょう。 中央線の特徴. 千葉 東上線の優等列車では、急行に次いで本数が多い。日中は主に池袋~川越市間で運転される。 今回はそんな東中山駅の構内の情報、乗り場情報、改札や出口情報などは勿論、東中山駅周辺のグルメや東中山駅が最寄りとなる観光地やスポットなどたくさんの情報をまとめました。改めて使い慣れた駅を知る機会となったり、引っ越し際の参考にしていただけたらうれしいです。, 千葉県にある川間駅(かわまえき)は東武野田線沿線の駅です。 駅 [最安値], 札幌 大阪 ホテル 2016年3月26日から池袋発の急行の一部が副都心線直通に置き換えられた。昼間の副都心線直通急行は全てFライナーの列車愛称をもつ。主に森林公園駅発の電車が毎時2本副都心線に置き換えられた。, 停車駅:成増~小川町間の各駅 駅, 千葉県にある新柏駅(しんかしわえき)は東武野田線沿線の駅です。 今回はそんな七光台駅の構内の情報、乗り場情報、改札や出口情報などはもちろん、七光台駅周辺のグルメや七光台駅が最寄りとなる観光地やスポットなどたくさんの情報をまとめました。, 野田・松戸・船橋 東上線と有楽町線(副都心線)の和光市~池袋間は、日本の鉄道では珍しく直通する路線同士が別の路線として併走している。この区間の両社の各駅は少し距離があるので、厳密に併走とは言えないかもしれないが、池袋からは改札は違うがいずれの路線でも和光市以北の各駅へ向かえる。なお余談だが、成増(地下鉄成増)駅と下赤塚(地下鉄赤塚)駅は近接しているため一応乗り換えは出来るが、東武、東京メトロ両社とも乗り換え駅としては勧めていない。 [最安値], ※掲載の内容は、記事公開時点のものです。 最盛期は「フライング東上」の愛称で池袋~川越間をノンストップで走っており、池袋~川越間の所要時間は30分前後であった。末期は土休日のみの運転と少なく、影の薄い列車であった。 復元の上で東武博物館に保存中のデハ5。 ... 1924年(大正13年)10月1日の伊勢崎線 ... デハ4 → 上信電気鉄道デハ10; デハ6 → 新潟交通モハ19; 詳細は「上信電気鉄道デハ10形電車」および「新潟交通モハ10形電車」を参照. 東京駅から塩尻駅まではJR東日本の管轄で、塩尻駅から名古屋駅までがJR東海の管轄です。 千葉 乳液 寺院・教会,旧市街・古い町並み, 東京 Go To トラベルキャンペーン 「TJライナー」登場に伴い設定。 また、寄居までの直通運転も存在し、その場合は小川町で4両を切り離して6両で運転された。こちらは行先に合わせ「むさしの」「さだみね」などの愛称がつけられた。, 停車駅:志木までの各駅→和光市→成増→池袋 脱毛サロン 上下線とも、ほぼ10分おきに各駅停車が停まります(急行はそれぞれ10時台に1日1本来ます)。始発は5時台、終電は0時台となっています。南は船橋駅、北は柏駅・大宮駅などでjrへ、また、春日部駅で東武伊勢崎線へ乗り換えることもできます。 ランチ, 横浜 日本 日本 埼玉県内の東上線の場合、池袋駅や埼京線や湘南新宿ラインを使う場合、東上線の方が安いが、有楽町線・副都心線・東急東横線などを使う場合は和光市駅から東京メトロを使った方が利便性が高い。 平日に下り2本・上り3本、土休日に下り2本・上り4本を運転。池袋と川越の間を最速26分で結んでいる。使用車両は50090系で、クロスシートモードで運用される。, 下り列車停車駅:池袋→ふじみ野→川越→川越市→坂戸→東松山→森林公園→つきのわ→武蔵嵐山→小川町 スピードさえ気にしなければ、中央線を使って名古屋まで行けるとわかって、新鮮に感じるかもしれません。 - 朝ラッシュ時の池袋行きが平日6本のみ運行された。急行が停車する朝霞台を通過するのが特徴。 青汁 永久脱毛. 主に夕方に30分~1時間ヘッドで運行。車両はすべて専用車両の50090系が使用される。 その為、埼玉県内の東上線の駅から和光市駅~池袋駅を2区間で利用できる二東流が販売されている。 本線系統に比べると朝下りや夕方上りの需要が多く、特に和光市駅〜川越駅で顕著である。 すべての駅に停まる。日中時間帯は主に池袋~成増・川越市間の運転。和光市~川越市・森林公園間における地下鉄線直通列車についても、東上線内は全列車が普通列車となる。なお、駅アナウンスでは「各駅停車」と呼ばれる。, 現在の快速急行の前身。停車駅は志木がカットされたもの。 東武デハ10系電車(とうぶデハ10けいでんしゃ)は、かつて東武鉄道に在籍した特急形電車。1935年(昭和10年)から1942年(昭和17年)にかけて新製されたデハ10形・クハ10形, デハ11形・クハ11形, デハ12形・クハ12形, デハ1201形各形式の総称である。, 本項では本系列の増備車として位置付けられるクハ1201形についても併せて記述するとともに、本系列の一部を改造して登場した東武鉄道における戦後初の特急形電車モハ5310形・クハ350形について詳述する。, 全線電化や新線開通に伴う車両の増備は1929年(昭和4年)をもって一段落し、その後の輸送力増強は非電化時代に使用されていた客車の電車化[注釈 2]によって賄われていた。その後、それまでは一般車で運用されていた日光方面への特急列車向けに、専用の新型車両を増備することとなり、新製されたのが本系列である。, 昭和2年 - 4年系の製造から6年の間隔が開いたこともあり、全くの新設計で新製されたその車体は、浅くなった屋根と大きめの窓、両側貫通構造となった半流形状の前面も相まって軽快な印象となった。ただし車体裾の切り込みは昭和2年 - 4年系より踏襲、またこの時期の鋼製車には珍しくトラス棒が使用されていて、屋上のお椀形ベンチレーターと共に洗練された印象をややスポイルしている感は否めない。車体寸法は最大長18,352mm、最大幅2,740mmであるが、増備車グループから最大長が300mm延長されている。, デハは両運転台車、クハは片運転台車であるが、右側片隅型運転台で運転室扉は片側にのみ設置され、全車トイレ装備という仕様は全車共通であった[注釈 3]。窓配置は11D10D1d(d:乗務員扉, D:客用扉)である。, また、本系列の特徴の一つに特殊字体による切り文字車番表記(参考画像)が挙げられる。クロームメッキされた、他に例のない字体による切り文字の車番表記が側面中央に取り付けられており、これは後述の大改番を迎えるまでそのまま使われ続けた。, 車内は特急用車両にふさわしくクロスシートを装備し、デハは車内主電動機点検蓋を設置する都合上、車端部のみロングシートであったが、クハは全席クロスシートとされている。室内灯は八角形のグローブが取り付けられたシャンデリア型で、車端部櫛桁部分には沿線案内図が設けられていた。, 制御器は電動カム軸式MCH200、主電動機はHS266[注釈 4]と日立製作所製のもので揃えられている。主電動機出力は110kWに増強され、以降の標準仕様となった。台車は住友金属工業製の鋳鋼組立型釣り合い梁式KS31・KS33、もしくは日本車輌製造製の帯鋼リベット組立型釣り合い梁式D-18を装備するが、後年台車振り替えが行われたため製造時の仕様と晩年のそれは一致しない車両が多い。, パンタグラフは日立製作所製KH-137を電動車に各2基搭載しており、常時2基とも上昇させて使用していた点は昭和2年 - 4年系に準じる。, 本系列は以下の5形式から成り立っており、製造年代及び用途別に仕様が異なる。以下、形式ごとにその詳細を述べる。, 1935年(昭和10年)に全6両が新製された。デハは日本車輌製造東京支店製、クハは汽車製造製である。当初はデハ101 - 103及びクハ101 - 103として落成したが、1937年(昭和12年)に原番号プラス1000で改番され、増備車と番号を揃えられている。塗装は当時の東武の標準的な車体色である赤茶色であった。, 本グループはデハ1103が戦災で被災し、一旦原番号で復旧されたものの、1951年(昭和26年)に施行された大改番に際しては別形式(モハ5460形)となり、残り5両についてはデハはモハ5440形、クハはクハ400形にそれぞれ改称された。, 1937年(昭和12年)に増備されたグループ。10形グループ同様、デハは日本車輌製造製、クハは汽車製造製である。基本的な仕様に変化はないが、ボギーセンター間隔が10形グループの11,700mmから12,000mmに変化し、その分全長も18,652mmと300mm延長されている。また、本グループからはクハの売店が省略されて座席になり、車体色もチョコレート色となるなどの変更点があるほか、前照灯が一般的な取り付け型から砲弾型のケースに変更され、より洗練された印象を与えるものとなった。, 本グループはクハ1106が戦災で被災し、同車も一旦原番号で復旧されたものの、大改番に際しては別形式(クハ350形)となり、残り5両についてはデハはモハ5440形に、クハはクハ400形にそれぞれ区分された。, 1939年(昭和14年)から1940年(昭和15年)にかけて新製された。本グループはデハ・クハともに日本車輌製造製である。11形グループとほぼ同一の仕様であったが、特殊字体の切り文字車番表記を止め、従来車と同じくペンキ書きでの表記に改められた。なお、クハ2両は事故で被災した従来車の復旧名義で新製されているため、書類上の製造年月と実際のそれは異なっている[注釈 5]。, 本グループはクハ1107が戦災で被災し、クハ11形クハ1106と同様の経緯で別形式(クハ350形)となり、残る3両についてはデハはモハ5440形に、クハはクハ400形にそれぞれ区分された。, 1942年(昭和17年)に全8両が日本車輌製造で新製された。基本仕様や主要寸法は11形・12形グループに準じるが、車内はロングシート仕様となり、太平洋戦争が激化しつつあった時代背景を反映してか、車内の各部造作が簡素化されたものとなっている。窓配置は12D8D2dに変わり、扉間だけではなく車端側にも車体裾切り込みが設けられたのが外観上の特徴である。, 本グループはデハ1203が戦災で被災し、デハ10形デハ1103と同様の経緯で別形式(モハ5460形)となり、その他7両はモハ5450形と改称された。, 商工省統制規格型車両として1944年(昭和19年)に汽車製造で新製されたが、実際の入線は1945年(昭和20年)にずれこみ、戦後初の新製車として登場した。車内はロングシートで、基本的な仕様はデハ1201形に準じるが、全長が18,830mmとわずかに長く、連結面寄りの側窓が1枚多い。窓配置は4D8D2d。また、妻面は工作簡易化の観点から平妻とされた。片隅型右側運転台を持つ片運転台車であるが、便所が連結面側ではなく運転台の通路を挟んで左側に設けられている点が他グループのクハと異なる。, こうして16両のクロスシート車が出揃い、専ら特急列車運用に使われていたが、太平洋戦争の激化に伴い、1942年(昭和17年)に特急列車の運転が中止されたため、全車ロングシート化された上で一般車と混用されるようになった。この状態で終戦を迎えることとなる。, なお、戦後間もなくデハは2基搭載していたパンタグラフのうち1基を全車撤去された。また、砲弾型前照灯は保守性に難があったため、こちらも1947年(昭和22年)頃までに取り付け型の前照灯と交換されている。, 戦後の日光方面への特急列車は、1948年(昭和23年)6月に運行を開始した進駐軍専用列車という形で復活した。それ以前から本系列のうち、デハ1105 - 1108が進駐軍専用車両として供出させられていたが、これらのうち2両で国鉄より借入した客車2両[注釈 6]を挟む形で運行されたものである。当初は軍関係者以外の乗車はできなかったが、同年8月には一般客にも開放されるようになった。, その後、1949年(昭和24年)までにデハ1104 - 1108・クハ1101 - 1104・1108の10両が、日本車輌製造東京支店の整備によりクリームと茶色のツートンカラーに変更の上クロスシート装備の特急用車両として復活し、本格的に特急列車の運行が再開されている。, 前述のように、本系列は大改番によって以下の6形式に区分された。なおこの際、10形・11形の特徴であった特殊字体の切り文字車番表記は廃された。以下、形式ごとに概要を述べる。, 旧デハ10・11・12形に属し、戦災を免れた7両が本形式に統合された。このうちモハ5442 - 5446は特急用車両であった。, デハの戦災復旧車2両が本形式に統合された。モハ5460は旧デハ11形(デハ1103)、モハ5461は旧デハ1201形(デハ1203)と出自が異なるため主要寸法や窓配置が異なる。復旧時に片運転台化、前面非貫通化・全室運転室化および運転台の中央移設、乗務員扉の増設が行われている。車内はロングシート。, クハの戦災復旧車2両が本形式に統合された。こちらは旧クハ11形(クハ1106)および旧クハ12形(クハ1107)が出自であるため、外観は同一であった。本形式も復旧時に前面非貫通化・全室運転室化および運転台の中央移設、乗務員扉の増設が行われている。, 旧クハ10・11・12形に属し、戦災に遭わなかった6両が本形式に統合された。このうちクハ400 - 403・405は特急用車両であった。, 大改番直後の1951年(昭和26年)、モハ5440形のうち特急用車両として整備されていたモハ5442 - 5446について、走行性能向上のためモハ5300形との間で制御器・主電動機の振り替えが行われた。これにより主電動機がTDK-528/9-HM[注釈 1]に換装され、制御器もCS5に変わったことから、対象となった車両はモハ5310形と改称された。同時に車端部のロングシート部分についてもクロスシート化され、クハと車内設備が統一された。, また、連結相手であるクハ400 - 403・405についても主幹制御器の交換、及び台車の交換が行われ、クハ350形(2代)と改称された。この際クハ350・351(いずれも初代)はクハ332・333(いずれも2代)と改番された後、1952年(昭和27年)には主幹制御器の交換を行いクハ401・402(いずれも2代)と改称し、クハ400形に編入された。同時にクハ400形中、改造対象から外れたクハ404をクハ400(2代)に改番し、番号を揃えている。, 1949年(昭和24年)から1951年(昭和26年)にかけて木造車鋼体化車両(サハ80形およびクハ500形)が大量に増備された。これにより電動車に不足が生じ、在籍していたクハの中から比較的電装が容易であったクハ410形(初代)が選ばれて、1951年(昭和26年)に電動車化改造が行われた。, 改造後はモハ5410形と改称された。主要機器はモハ5440形・5450形に準じているが、クハ当時同様、片運転台仕様のままとされたため、当時の東武では珍しい片運転台のモハとなった。なお、パンタグラフは連結面寄りに設置されている。, 特急用車両として使用されていたモハ5310形・クハ350形であるが、5700系登場に伴い、徐々に第一線から退くこととなる。, まず1952年(昭和26年)にモハ5313・5314およびクハ353・354の4両が東上線に転属し、青地に黄色帯へ塗装変更の上特急「フライング東上」号として使用された。なお、フライング東上号用車両としては1950年(昭和25年)にモハ5451・5454が室内を改装した上で投入されており、この4両はその代替車という位置付けであった[注釈 7]。, 残る車両についても1953年(昭和28年)までに有料急行[注釈 8]用車両に格下げされ、特急運用から撤退した。ただし、モハ5312-クハ352のみは予備車として特急用車両当時のままの仕様で残存しており[注釈 9]、1953年(昭和28年)に同編成を使用して8月から宇都宮線有料急行を新設、当時の伊勢崎線には急行料金設定が無かったため、これを新規制定した上で宇都宮線に遅れること2ヵ月の同年10月、伊勢崎線にも有料急行列車を新設した。, この伊勢崎線急行は好評を博し[1]、1962年(昭和37年)に東上線に転属していた4両を再転属させ、さらに1966年(昭和41年)には一旦格下げされていたモハ5310-クハ350を再整備・格上げして順次増発され、特急用車両から格下げされて同列車に充当されていた5700系とともに主力として活躍を続けた。, 上記固定編成化によって、それまでまちまちであったモハとクハの組み合わせが末尾同番号同士の車両の組み合わせで固定され、以降の各種改造は編成単位で行われるようになった。, 好評を博した伊勢崎線急行ではあったが、1720系が主力となっていた日光線の特急列車と比較すると、有料列車としてはあらゆる面で見劣りするきらいは否めなかった。そのため、1969年(昭和44年)から伊勢崎線急行用車両として1800系を新製し、従来車と置き換えることとなった。, 急行運用から撤退した後、5700系は快速運用・波動輸送用途に転用されたが、モハ5310形・クハ350形については1970年(昭和45年)に一般車化改造が施工された。, 東武の戦前製旧型車では唯一となる4両固定編成化が行われたほか[注釈 13]、それに伴う一部車両の運転室完全撤去・先頭車となる車両の運転台左側移設・3扉化・車内ロングシート化・便所撤去等、改造内容は多岐にわたっており[注釈 12]、塗装も当時の一般車の標準色であるロイヤルベージュとインターナショナルオレンジの2色塗りに変更され、窓配置はd1D4D4D2と大幅に改められ、前面形状とお椀型ベンチレータを除いて原形はほぼ失われてしまった。, なお、3扉化に際しては車端部の窓がこれまでは1・1のように間隔が開いていたものを、間柱を客用扉間の側窓部分と同じ太さに縮小し、車端部寄りの窓を車体中央寄りに移設し間隔を詰めたため、連結面との隅柱部分が窓1つ分近く太くなっているという異様な形態となっていた。, これら2編成は当初伊勢崎線に配属されたが、あまり使用されることなく短期間で野田線へ転属している。また、急行用車両としての格上げ改造を受けずじまいであったモハ5311-クハ351については同時期にローカル運用に転用され、栃木地区で使用された。格下げ改造を受けた元急行用編成とは異なり、3扉化や各種近代化改造は施工されなかったため、原形を保った姿で余生を送った。, この項では前述モハ5310形・クハ350形に関する項目以外の変遷、及び施工された各種改造について述べる。, 輸送力増強に伴う長大編成化の進捗により、1960年(昭和35年)から1961年(昭和36年)にかけて両運転台モハの片側の運転台を撤去する工事が全車を対象に施工された。同時に反対側運転台の全室構造化・乗務員扉増設も行われ、元々片運転台構造であるクハについても運転台の全室構造化・乗務員扉増設が施工された。また、モハ・クハともに前後妻面に貫通幌・幌受けが新設され、連結相手と幌で結ぶ半固定編成化が行われた。, 前述のように本系列は4両の戦災復旧車が存在するが、いずれも焼けた鋼体を叩き直す形で復旧工事が行われたものであった。そのうちクハ401・402(いずれも2代)については状態が悪かったことから、1960年(昭和35年)に津覇車輌で車体を新製し載せ替えられた。新車体はほぼ原形通りの形態ながら、前面貫通構造のノーリベット車体で、車体裾の切り込みも無くなった。窓配置はd1D10D3と車端部寄りの側窓が1枚増えている。, この2両については後述のように翌年電装化が施工されたため、新車体でクハとして使用されていた時期は1年に満たなかった。, 旧型車の荷電化改造による電動車の不足を補う目的で、上記車体新製車の電動車化改造が1961年(昭和36年)に施工された。電装品についてはモハ5310形と同一とされ、制御器はCS5、主電動機は東洋製TDK528/9-HMを搭載する。電装後はモハ5310形に編入され、モハ5314以降の追番とされた。また、電動車化と同時に車内がクロスシート化されたが、窓割とシートピッチは一致していなかった。, モハ5311-クハ351は大師線で運行中の1966年(昭和41年)12月に脱線衝突事故[注釈 14]を起こし大破した。復旧に際しては修復不能であったモハ5311の先頭寄りの台車を新製して交換し、同時に車体裾の切り込みもなくなった。, その他、前面窓のHゴム固定化[注釈 15]、クロスシート車についてはロングシート化、塗装変更[注釈 16]等が順次施工されている。また、保安装置の取り付けに伴い運転室の機器撤去が行われて事実上中間車となった車両も多数存在する[注釈 17]。, なお、前照灯のシールドビーム2灯化についてはモハ5310形・クハ350形のみ施工され、後述更新時期の関係から54系(モハ5410形・5440形・5450形・5460形)およびそれらと編成を組むクハについては施工されなかった。, 優等列車用車両として華々しく登場した本系列も、晩年は専らローカル運用に就いた。しかし車齢35年近くを経過して各部の老朽化が目立ち始め、新型車両と比較すると接客面での陳腐化が著しかったことから、1971年(昭和46年)より54系の3050系への更新が開始された。54系更新が完了した1974年(昭和49年)からは、モハ5310形・クハ350形についても5000系(初代・後の3070系)へ更新が開始されて1975年(昭和50年)に全車更新を完了し、本系列は形式消滅した。, 不要となった旧車体については大半が解体処分されたが、モハ5451の車体のみはサヤ8000形として再用された。, サイリスタチョッパ制御の試験のため、更新により不要となったモハ5451の車体を流用して登場した試験用車両である。外観はパンタを2基に増設した[注釈 18]他はほぼモハ5451当時の姿を保っていたが、車内は座席を撤去し、床下に収まり切らなかった各種機器が搭載された。なお、台車は更新に際して供出していたため、予備品の住友金属製釣り合い梁台車KS31Lを装備した[注釈 19]。形式名が示すとおり主電動機及び運転台機器は搭載されておらず、8000系8124編成の中間に当車を組み込み、同編成の電動車(モハ8224-モハ8324)の主電動機を当車のサイリスタチョッパ制御器で制御する方式で試験が行われた。, 1974年(昭和49年)5月から東上線で各種試験が行われたが、試験終了後の同年末に廃車解体された。, 更新後5000番台(5000系・初代)を称した車両は、1979年(昭和53年)4月1日付で3070番台(3070系)へ一斉改番。, 6050系 - 8000系・800系・850系 - 9000系・9050系 - 10000系・10030系・10080系 - 20000系・20050系・20400系(20410系・20420系・20430系・20440系)30000系 - 50000系・50050系・50070系・50090系 - 60000系 - 70000系・70090系, モハ5310形・クハ350形(デハ10系) - モハ5320形・モハ5800形・クハ340形, 1700系・1720系 - 5700系 - 6000系 - トク500形 - 300系 - 1800系, クハ220形a・クハ230形(大正15年系) - クハ220形b・クハニ470形(総武鉄道引き継ぎ車) - クハ420形a(大正14年系) - クハ450形(戦災国電復旧車) - クハ240形・クハ540形・クハ500形・クハ550形II(第一次/第二次鋼体化形) - モハ3210形・モハニ3270形・モハ5420形・モハニ5470形・クハニ270形・クハユ290形(昭和2 - 4年系) - モハ3200形c・モハ3260形・モハ5200形・モハ5430形・クハ420形c(運輸省規格型) - モハ5410形・モハ5440形・モハ5450形・モハ5460形・クハ400形(デハ10系), モハ1100形(大正13年系) - モハ1600形(下野電気鉄道引き継ぎ車) - 3000系・3050系・3070系5000系・5050系・5070系 - 7300系・クハ360形 - 7800系, キハ4I - キハ10形 - キハ20形 - キハ1・2・3(上州鉄道引き継ぎ車) - キハ1形(越生鉄道引き継ぎ車) - キハ1・2(下野電気鉄道引き継ぎ車) - キハ2000形, ED3000形 - ED4000形 - ED4010形・ED4020形 - ED5000形 - ED5010形・ED5050形 - ED5060形・ED5080形, A1形II - A2形 - A3形 - C1形I - C1形II - C2形 - C3形I - C3形II - C3形III - C3形IV - C11形(207号機)併合他社の車両 :い形(佐野) - ろ形(佐野) - 3(総武), B1形 - B2形 - B3形 - B4形 - B5形 - B6形 - B7形 - D1形, モユニ1190形・モニ1470形・モユニ1490形 - モニ1670形 - クエ7000形 - サヤ8000形, オロ317・オロ3568の2両。同車は当時RTO(連合軍鉄道司令部)の管理下に置かれており、軍番号はそれぞれオロ23156・オロ2345であった。, モハ5451・5454の2両はフライング東上号運用からの撤退後に再び本線へ転属し、, 当時は無料急行のみが設定されており、急行は料金不要列車で現在の快速に相当し、後述の有料急行とは性格を異にする。, モハ5720形の直角カルダン駆動装置が不調で就役が遅れたため、予備車を確保しなければならなかったためである。, これら2項目は急行用格上げ改造の対象から外れていたモハ5311-クハ351についても施工されている。, 急行用車両当時はモハ5310-クハ350・モハ5314-クハ354の2編成のみに施工され、後年の一般車格下げの際にはモハ5312-クハ352・モハ5313-クハ353の2編成にも施工された。, 茶色一色塗りからベージュ地に裾部と窓周りがオレンジの一般色に直接塗り替えられた車両と、下半分マルーン、上半分クリームの優等色を経て一般色に塗り替えられた車両が存在する。, 概要の項で述べたように、本系列のモハはかつてパンタを2基搭載しており、撤去されずに残っていたパンタ台・ランボードを生かす形で増設されたため、外観上違和感はなかった。, クハ240形・クハ540形・クハ500形・クハ550形II(第一次/第二次鋼体化形), モハ3210形・モハニ3270形・モハ5420形・モハニ5470形・クハニ270形・クハユ290形(昭和2 - 4年系), モハ3200形c・モハ3260形・モハ5200形・モハ5430形・クハ420形c(運輸省規格型), モハ5410形・モハ5440形・モハ5450形・モハ5460形・クハ400形(デハ10系), https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=東武デハ10系電車&oldid=74152630, クハ1201 - 1205 → クハ410 - 414(クハ411・412は初代), McTc固定編成化・貫通幌新設、モハの連結面側運転台・便所の撤去、反対側運転台の全室化・乗務員扉増設.

ギリシャ神話 アテナ クズ 6, 北海道銀行 広 部 15, 仮面病棟 永井大 役 4, ウィッチャー 三人でタンゴを 回避 8, 高校野球 応援歌 原曲 14, レティシア 名前 由来 51, 笑い 吹き出す 表現 28, 関西大学 社会学部 社会学専攻 4, クラッシュ 映画 名言 5, 株式会社 Cyber Cactus 13, 総務省 補助金 令和2年度 6, 文化放送超 A&g+ 聞き逃し 14, 教科書 ワーク 英語 4年 12, ロケット 打ち上げ 重力 5, ミリシタ アナザー衣装 おすすめ 30, 馴れ初め まとめ 長編 8, アウディ ドライブセレクト A4 4, 僕のヤバイ妻 家 ロケ地 58, Hk45 電動 初速アップ 5, 鉄 漢字 矢 6, 坂上忍 土地 場所 8,

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *