太平記 楠木正成 名言 11

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April 27, 2018

太平記 楠木正成 名言 11

少し前述しましたが、江戸時代に『古今軍理問答』では、『保元物語』『平治物語』『平家物語』『甲陽軍鑑』なども論じていますが、それらの主要人物である源義朝・源義経・武田信玄・上杉謙信などを差し置いて、正成を「日本開闢以来の名将」の異名で呼んでいます。, 理由は「個人の将として優れているのは越後の上杉謙信、技術で優れているのは武田信玄としつつも、戦国時代の軍法は小競り合いの類である。小事を知るには良いが、源義経・楠木正成・新田義貞の軍法の後に本当の合戦というのは存在しない」という評価を江戸時代の陽明学者がしていたからでした。, 楠木正成は皇国史観に基づき、「忠臣の鑑」「日本人の鑑」といわれました。皇国忠臣の思想は南朝の北畠親房が記した歴史書「神皇正統記」が元となり、万世一系とする天皇の国家統治が理想とされた考え方です。この書は南朝の北畠親房が書いてあるのも相まって、南朝の正統性を記していました。, この思想は江戸末期に尊王攘夷論として発展していき、明治時代には正式に南朝が正統とされました。それに伴い、江戸時代までは朝敵とされていた楠木正成が、変わって英雄とされていきました。第二次世界大戦の頃には、「皇国史観」として国粋主義として発展していき、帝国主義を支えるイデオロギーと発展していった一面があります。, 楠木正成は非常に戦略に優れ、義にも厚い武将であると同時に、近年商工経済のルートやネットワークを駆使していたこともわかってきています。また建武の親政の時には、記録所の寄人(職員)に抜擢されています。他の官僚の顔ぶれからかなりの実務官僚の手腕があったのではないかと推定されています。また修験道者でもあったという、色々な顔を持つ人物だったといわれています。, 分からないことの多い楠木正成ですが、それだけ歴史の表舞台からは遠い世界に最初はいたために、色々な経験を積むことによって後の「楠木正成」に繋がっていったといえるのではないでしょうか。, 楠木正成の武士としての気概を感じる一言です。数十倍の軍勢に立ち向かう正成の実力があってこそなお際立つ一言といえます。, これは中国の「孫子」という兵法に載っている言葉を引用したといわれています。1332年の赤坂城の戦いにおいて敵を驚かすだけで撤退させることに成功し、言葉通り一戦も交えずに城を取り返したといいます。, 大将とは大きな知恵も小さな知恵も持たなけれなならないのだ。磨き続けないと正しい知恵は出てこないと解いています。この考え方は、正成の戦法の強い武器となったことでしょう。, 楠木正成は後醍醐天皇の夢がきっかけで、取り立てられたといわれています。内容は後醍醐天皇が笠置山でうたた寝ををしている時に、夢の中で大きな木があり、下に官人が位の順に座っていたけれども南側の上座だけが誰も座っていなかったそうです。天皇は誰の席か不思議に思っていると、童子が来て「ここはあなた様の席です。」と言っていなくなってしまったという夢でした。, 目覚めた天皇が夢の意味を考えていると、「木」と「南」を合わせると「楠」となるためにこのあたりに「楠」という武士はいるかと下問すると、河内に橘諸兄の子孫「楠木正成」という武士がいると答えたそうです。天皇はすぐに楠木正成を呼び寄せ、取り立てたという伝説が残っています。, 「太平記」によると自害すると前に、楠木正成は弟の正季に次に生まれ変わるときは何になりたいかと問うと、正季はからからと笑って「7度人間に生まれ変わって朝敵を倒したい」といったといいます。それを聞いた正成は満足げな様子で、「なんとも罪深い邪悪な考えだが私もそう思う。さらばだ、私も同じように生まれ変わり、滅族の本懐を果たそう」と答えて刺し違えたといわれています。, こうして「七生滅賊」という仏教的に罪深い思想に囚われた正成は、後巻で怨霊として再登場して室町幕府を呪い最後は僧侶が唱える「般若心経」で調伏されたという結末となっています。しかし、この話も明治時代には「七生報国」と美談になり、軍国主義に利用されることにも繋がりました。, 楠木正成は儒教的には三徳兼備の聖人であるけれども、仏教的には「七生滅賊」の罪業を願った悪人といわれていました。「太平記」に怨霊として楠木正成が出ています。内容は以下の通りです。, 正成を討った大森盛長は猿楽を嗜む一族でもあり、ある日盛長が猿楽に向かっていると山脇の細道で美女に会いますが、口が裂けて角が生えた怪物に変わりました。この時は抵抗して女は消えましたが、猿楽は中止になりました。, しかし後日猿楽を再開したときに再び化け物が現れ楠木正成と名乗り、朝敵滅賊の野望を果たすために修羅の眷属となり、「貪」「瞋」「癡」の三毒の魔剣を探し求めていると明かしたのです。この後は後醍醐天皇や護良親王らも現れ大きな戦いとなりますが、最後は盛長の縁者の禅僧が「般若心経」により調伏したとされるところで物語は終わっています。, 生まれた年も場所も不明ですが、「日本開闢以来の名将」は生を受けました。生まれた場所は河内国か、駿河国という説が有力です。いつから河内国に住んでいたかははっきり分かりませんが、河内国の観心寺で仏学を学んだといいます。, 北条高時の命令で、摂津国の要衝淀川河口に居する渡辺党を討ち、紀伊国安田庄司湯浅氏を殺害し、南大和の越智氏を撃滅していています。これにより楠木正成が正史に名前が出てくるようになります。これにより正成は、阿弓河荘を与えられました。正成の三氏討伐に六波羅は感嘆をあげ、そして恐れたといい、世間に強烈なインパクトを与えました。, 後醍醐天皇は笠置山にて挙兵し、朝廷対幕府軍の元弘の乱が起こりました。正成は幕府の官人でしたが後醍醐天皇の倒幕に加担しました。正成は笠置山参行したため、幕府は怒って所領の和泉国若松荘を「悪党楠木兵衛尉跡」として没収しています。, 笠置山の赤坂城に立てこもった楠木正成軍と、幕府軍が対峙した戦いが起きます。幕府軍が30万騎だったのに対し楠木軍は、500騎だったといわれています。圧倒的な兵力差ですぐ勝負がつくと思われましたが、正成の卓越したゲリラ戦でとにかく耐え抜いています。1か月程の籠城に耐え、同じく陣にいた護良親王と正成は城を捨て逃亡し、半年ほど消息不明となりました。, 半年経った翌年に楠木正成は挙兵し、生きていたことを世に示しました。赤坂城を奇策をもって城を奪いその勢いで河内・和泉を制圧しています。討伐に乗り出した六波羅も奇襲により撃退しました。, 楠木正成は千早城に籠城し、幕府軍を迎え撃ちました。後醍醐天皇もこの時に隠岐から脱出しており、正成が千早城で幕府軍を釘付けにしている間に新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼすことに成功しています。その功績もあり、後醍醐天皇が京を凱旋した時には警護を任されました。, 倒幕の功績が認められ、後醍醐天皇より記録所寄人、雑訴決断所奉行人、検非違使、河内・和泉の守護、河内守(国司)に任じられています。その他にも多くの所領を与えられました。正成は建武の新政において後醍醐天皇の絶大な信任を受け、結城親光、名和長年、千種忠顕とあわせて「三木一草」と併称されて、「朝恩に誇った」とされます。, 建武の新政への武士の不満が募り、足利尊氏が朝廷より離反し鎌倉で挙兵しました。足利軍は当初戦闘有利に進み、京まで攻めてきましたが、楠木正成の活躍により豊島河原合戦に勝利し、足利軍を京から九州に駆逐しています。, 後醍醐天皇の勅によって出陣を命じられて、兵庫に下向しています。その際の道中、息子の正行に「今生にて汝の顔を見るのも今日が最後かと思う」と述べ、桜井の宿から河内へ帰したといいます。これが後に「桜井の別れ」といわれました。「太平記」の名場面の一つとして、国語の教科書にも載っていた戦前教育では有名な場面だったといいます。, 湊川で新田・楠木軍と足利軍が対峙し戦となりました。最初は互角に戦っていたのですが、細川水軍の奇襲により足利軍優勢となり、最後は敗北を悟り、弟の正季と刺し違えて自害し生涯を閉じました。その清廉した人格に、敵である足利尊氏も敬意を払ったといわれています。, 南朝の視点から楠木正成像を見ることができる本です。悪党楠木正成が、六波羅に挑む様子をわかりやすく読める本です。楠木正成を知りたいという人にはまず読んでほしい本です。, 「日本開闘以来の名将」といわれた楠木正成の鮮やかな戦術を、知ることができる本です。兵法に興味がある方は、是非読んでほしい一冊です。楠木正成の「ゲリラ戦法」の数々を知ることができます。, 英雄「楠木正成」はどの様に作られたのか?戦時中に英雄視されていった様子を考察しています。その裏には何の狙いがあったのか、日本人の国民性から切り込んだ一冊です。上級者向きですが、戦時中の日本人の精神を理解するのに役立つ一冊です。, 「悪党」と呼ばれた楠木正成の強さを知ることができます。強く、逞しい楠木正成の人物像をわかりやすく、新しい視点から説明された興味深い動画です。, 天才的戦術の持ち主の楠木正成を、わかりやすく紐解いている作品です。岡田准一さんが一度は演じてみたいという、「楠木正成」の魅力が伝わってきます。歴史ファンは必見です。, 真田広之が主演の大河ドラマ「太平記」は足利尊氏視点の大河ドラマです。主要な人物として楠木正成も登場し、建武の新政までが描かれます。建武の新政のころの歴史を知るためにもおすすめの一作です。, いかがでしたでしょうか。筆者は今回楠木正成を執筆していて、自分が知っていた内容以上に深い人物で、新しい視点が開けた感覚です。執筆するまで、「戦争時代に英雄視されていた」というイメージが先行していて、戦国時代の武将より馴染みが薄い印象を持っていました。, 今回の執筆で知ったことは、「大楠公」は非常に清廉な人格の義に厚い強い武将だったということです。戦国大名とはフィールドが違うために、戦う戦法も「合戦」ではなく「戦争」だなと感じています。とても器用で何でもこなす人物だったということも知って新鮮でした。まだ貴族の血縁が強い時代に、自分の力で出世した武士の走りなのではないかと感じています。この記事を読んで少しでも「楠木正成」に興味を持っていただけたら嬉しく思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。.

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